大きな動きの中に小さな動きも目立って面白い

前職の時に取引のあった出雲市の瓦屋さんは、新聞広告に入れた「屋根改装の決定版」を見られて電話されました。松江市の屋根リフォーム屋さんも同じくで、その内に米子の瓦屋さんも入れて4人で松江で情報交換の飲み会をしたのを思い出しました。

出雲の瓦屋さんは大手コンサル会社の指導から、定期的にハガキを新聞折込されていました。家のイラストに屋根や外壁や樋などにチェック欄を入れて、無料点検の申込です。

ハガキが送られてきたら郵便料金を郵便局に払いに行かれます。ハガキが新聞からぽろりと落ちるのがミソだと言われ、なるほどと思ったものです。そのハガキから仕事が生まれたようです。

今の時代は悪いことをする業者がいるので、無料点検の言葉は良くないかもしれませんが、ハガキの発想は面白いと思います。

大きな物の中に小さな物は目立ちます。同じように大きな動きの中に小さな動きも目立って面白いと思う今日この頃です。

俳句とニュースレターは方向性は一緒

私は毎週木曜日の夜のプレバトという俳句の番組を楽しみにしているのですが、俳句は言葉で状況が分かり想像できるので、説明はしたらダメと夏井先生は言われます。

ニュースレターも同じような趣旨があり、売込はなるべく少なくしたがいいようです。

元気便りにも書き、最近作ったハガキに書いたのですが、70歳の大工さんが仕事をしている写真を入れて「まだ大工しています」の言葉をハガキに書いてお客さんに配ったら、もしかして効果あるかもしれません。その中に「小さいことでもご用命下さい」と入れると、たちまち売込に変わってしまいます。

そこは心の中にしまいこんで、「最近はグランドゴルフにはまっています」「畑仕事も楽しんでいます」「時には料理を作って奥さん孝行をしています」などと入れたら、もらった方もほのぼのされることでしょう。

俳句とニュースレターはニュアンスはいくらか違いますが、方向性は一緒だと思う今日この頃です。

新たな動きをしようと意気込む

昨日は用事があって地元の信用金庫に行きました。前職の時には私の店のメインで大変にお世話になりました。使わなくなった通帳の廃止手続きで、終わった後に、支店長さんに渡してくださいと、元気ニュースレター研究会便りを渡しました。

さて、私も新たな動きをしようと意気込んでいます。「意気込む」の言葉は最近からレターによく使っています。「何かをしようとして奮い立つ、張り切る、やる気がある」とネットに書いてありました。

昔、「屋根改装の決定版」というタイトルで新聞広告を出したことがあり、いくつかの成果があったのを思い出しました。「やればできる」を胸に刻み歩みたいと思っている今日この頃です。

誰かの何かに役立つと思えば、行動できる

「情熱は誰でも平等に持つことができる 情熱の中に無限の可能性が隠れている」(しもやんの伝説の小冊子より)

何かの行動をする時に、情熱が先か、行動が先かを考えてみました。

・情熱があれば行動につながる 

・行動している内に情熱が生まれる

その行動なのですが、自分の何に役立つのか、自分にどんな利益やいいことがあるのか、などを考えると、中々行動に移せないように思いました。

誰かの何かに役立つと思えば、行動できると思った今日この頃です。

常識を超えたところにチャンスあり

「道がなければ作ればいい 君が歩いたあとに道が出来る」
(しもやんの伝説の小冊子より)

何かをやろうと思った時に、自分で勝手に結果を決めてしまい、期待通りにならなかった時の残念さを思い浮かべて、行動できないことがあります。私の過去の経験からですが、やってみると思わぬ成果がある場合もあります。

とは言っても中々前に進めない時は、「ダメモト」がいいですね。

「ダメもと」とは、失敗する可能性が高いとわかっていても、試しにやってみる、何もしないよりはマシだと思ってやってみると、ネットに書いてありました。

「常識を超えたところにチャンスあり」と思いたい今日この頃です。

出来ることに目を向けたい

一昨日は地元自治会の防災会があり、私も役目を頂いているので参加しました。昔、地域消防に所属していたことがあり、放水試験や操法大会の練習や出初式を始めとする様々な行事もあって、出掛けていました。

昭和63年に再婚して松江市に住むことになり、それを機に通常の勤務年数の15年より一年短い14年で退団しました。まあ、私の人生の中の一コマですね。

その防災会で私は消防OBとなっていて、最近は地元で火災も無く出動したこともないのですが、年齢もあり、そのOBから私は外れているのを知りました。少し残念、少しほっとした気分です。今は昔の体力も無く当然のことだと思いました。

これからの残りの人生で、私が出来ることは限られていますが、出来ることに目を向けたいと改めて思った今日この頃です。

毎日続けていることが何かにつながる

毎朝起きしなに、食物繊維のサンファイバーをお湯に溶かして飲んでいるのですが、そのせいなのか、お腹の調子もここのところいいです。昔、ある講演会でにんじんおろしを食べると長生きすると聞き、続けたこともありましたが、途中で辞めました。

何かを続けるのは割と大変です。今、私が続いているのは、毎朝の元気便りと30回のスクワット位ですね。元気便りは平成18年8月から始まり、店を閉じてからの数年間休んだのですが、今も続いています。

以前にも書いていますが、自分の考えややりたいことを書くことは、自分を励ます力となりますね。そして行動につながることもあります。また、私の場合は、元気便りを書いていることがニュースレターという事業の構築に影響していると思いました。

毎日続けていることが何かにつながると思う今日この頃です。

私の使命

新聞折込のチラシは以前に較べたら激減しているそうで、新聞販売店の収益にも大きく影響を及ぼしているようです。

不特定多数を対象としているチラシに比較すると、ニュースレターは顧客に配るので経費は少なくてすみますね。ましてや、自分で作れば経費は少額で継続できます。

経費をなるべくかけずに売り上げを増やす方法は中々見つからないのですが、その少ない方法の1つがニュースレターです。

そのことをお店や会社を経営されている方、あるいはセールス営業をされている方に知ってもらうのが、私の使命ではないかと思う今日この頃です。

わずかなお役立ち

早いもので今週も終わりました。今週は週初めに少しアクションを起こしたので、今後の動向を楽しみにしているところです。

さて、昨日の元気便りのタイトル「自分の限られた命をどう輝せるのか」は、10数年前に岩国の佐古先生の小冊子「志高く生きる」のサブタイトルの「命輝かせて」から連想したようです。

話は変わり、今勤めているコンビニで仕事が終わってから、仲間のスタッフの方(だいたい5名位)に隣の輸入品の店で買った飴を一個ずつ配っています。

130円位で10個位入っていて、いろいろなのがあり、結構に美味しいです。皆さんに渡すととても喜ばれ、私も幸せ気分になります。

まあ、わずかなお役立ちですが、私の命の輝きにつながると思う今日この頃です。

自分の限られた命をどう輝せるのか

私は昭和28年生まれ、戦後から8年してこの世に生まれてきたわけです。私が生まれる前には長い歴史があって、様々な出来事があったのですね。そんな歴史を語る人や本を出している方もあります。

数年後、あるいは数十年後、この世を生きて、永遠の眠りに入るのですが、今自分の命があることは、考えてみれば、それはスゴイことなのですが、それをスゴイと思う人は少ないように思います。

自分の限られた命をどう輝せるのか、今一度考えてみたいと思う今日この頃です。